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030930  World Rally Championships ! ……来年から!(笑)    
 テレ東で「ラリー北海道」のダイジェストを流していた。
すげー楽しそうだった。 テレビ中継とかめったにないから、なかなか見られないけど、F1 よりもむしろ ラリーの方が好きかもしれん。 来年からは WRC 昇格らしいので、一度行ってみたい。 車が宙に浮いてる写真撮りたい(笑)

 ラリーの様子は、例えば1日目2日目3日目、とか。
 
030929   ガンダム SEED 最終回      
 見た。
本当にイヤな話を作りたかったんだねぇ。ニヒリズムに陶酔するという楽しみさえ無い話を作りたかったと。公共の電波を使った純粋な嫌がらせかね? 戦争物としても、メカ物としても、ギャルアニメとしても、イヤな話嗜好としても、いかなる意味でも間違ってると思ってたけど、最初からそのどのつもりでもなかったってんなら納得。

030928  ネガが見つからない    
 普段写真を撮り散らしていると、
カメラで遊ぶのが主眼になってしまって、撮った写真なんか机にバルクで積んであったりするわけですが、たまにこの写真焼き増してくれとか言われることもあるわけですよ。そんなこと言われても、ネガが見つからない。プリントよりは大事に扱ってるはずなんだけど、その特定のひとコマが入ってるネガスリーブがどこにあるかが分からない。困った困った。
 
030926   テレビアニメ各番組最終回      
 …の感想を書こうと思ったんだけど特にコレと言って無く。
ムリョウの最終回が記憶に残ってないが……と思ったら最終回いってませんよまだ!
ステルビア
は、終始そうだったように、なんか普通にいい話で。
「体の四割がこんな」かぁ…。いいなぁ…(バカ)
てくのらいず
は、終始そうだったように、極道アニメという
謎なテイストを貫いたようで、なかなか。
カレイドスター(枠移動ですが)
普通でしたねぇ。普通さが売りなんだとは思いますが。
ロゼッタが可愛かったからいいや(大馬鹿者)
DNangel
黒翼のCGが好き。
 
 
030921  はてな日記    
 はやっているので(こればっか)
はてなダイアリーというのをやってみました。こことの使い分けは、特に何も考えてません。更新が楽なので、思いつきなんかの雑文はあっちの方が多くなるかもしれませんし、字が読みにくいとか色々想うに任せないところもあるので、読書感想文なんかはこっちにしか書かないかもしれません。 そこら辺は流れにまかせる方向で(意味不明)

 ところで、
当初の「はてな」は人力検索エンジンというコンセプトで、それをパソコン雑誌の記事で 見た時は「なるほどいいアイディアだ」と感心した覚えがあります。  今見ると、その人力検索のところはあんまり面白くないんですが(ポイント制のせいか、ちょっと殺伐としてる)、はてな日記の方で、「人力検索」的なことが実現しているのを見ると、 この会社の目の付け所はなかなか「いい感じ」だな〜と思います。  ただ、はてなの収益モデルが全然分からないのが不安です。 商人の生まれなので、「何の得があってそんなことが行われているのか」がはっきりしないと、たとえそれがまるっきり他人のことでも不安に陥ってしまうのです。(関係ないかもしれないけど、これが養老孟司の言う「脳化」ってヤツかね?)
 
030920  十角館の殺人  綾辻行人:著  講談社文庫
 話題になっていたので借りて読むという、志の低いことをしました。
何も知らずに「『十角館』が良いという噂を聞いたので貸してください」と、持ってそうな先輩に言ったら、綾辻のデビュー作であることとか、新本格の始まりであることとか、お説教されました。知らなかった。

 まず、面白かったです。
そして、絵に描いたような立派なパズラーでした。そのパズラーという要素が、僕がミステリを読む上での最大の障害となることが、またしても証明されました。

 だってこれ、犯人分かりやすすぎない?
土屋隆夫が「与えられた情報が、完全に割り切れて、余りが出ないのが、よい推理小説だ」みたいなことを言っていたが、それが完全に満たされる(ことを指向する)のがパズラーというジャンルである。ところが困ったことに、割り切れることが分かっているというのは、それだけでネタばらしになってしまうのである。センター試験の数学の問題のようなもので、正解がひと桁の自然数であることがバレていたら、それだけで問題は非常に易しくなってしまう。パズラーであれば、絶対に犯人では有り得ない人物、絶対に考える必要のない選択肢を事前に除外できてしまうし、そこから論理的に考えるならまだしも、ありそうなパターンを当てはめてみているうちに正解にたどり着いてしまうことさえある。

 はっきり自慢しよう、
この文庫版は366頁あるのだが、登場人物の出そろった70頁の時点で、まだ誰も死んでないのに犯人の目星がついてしまった。 じゃあ登場人物が出そろったようなので、犯人は××で、動機は○○、では死ぬのは〜〜だね、これでパズラーのバランスとしては申し分ないとか、パターンだけで推測してしまったのである。もちろん、まだ誰も死んでないんだからトリックなんて見当もつかないけど、犯人は分かってるんだから、そんなことにどんな意味がある? で、ふたを開けてみたら、当たってたよ。うわ。

 いやまぁ、はっきり言ってこれは自慢できるようなことじゃない。
ひとつには、この話は誰が見たって犯人がわかっちゃうだろうこと。もうひとつには、パズラーであろうと無かろうと、こういう読み方はミステリの読み方として(僕から見たって)「正しくない」ということだ。 だって全然面白くないもんな。

 犯人捜しやトリック崩しはともかく、
サスペンスとして読んで、(犯人が分かっちゃってるのに)かなり面白かったということは、筆者の小説技法の巧みさであろうとは思う。トリックのネタ晴らしが全部犯人の独白なのはどうかと思うが

 最後に、
解説で鮎川哲也が、一般読者が作家を叩くのに苦言を呈しているが、なんで読者がそんなことに配慮せにゃならんのか? 岡田斗司夫も言っているが、評論はジャンルの発展のためにあるのではない、評論と創作は、全然違う物なんだから、そんなことを(コトもあろうに作家に)言われる筋合いはない。よしんば、作家のためを思ったとしても、ヨイショ記事ばかりの評論が、作家のためになるとは全く思えない。
 
030911   2周年か      
 サンプルに日付を書いてるときは気づかなかったよ。

 あの件については、
単に、どの程度アメリカが関与しているのかという問題にすぎない。と、今でも思ってる。