030524 「Matrix reloaded」 キアヌリーブスとか 香港映画 |
先先行ロードショウなり。 前作はサイバーパンク映画を期待していったので裏切られたが、今回は香港映画だと知っているから大丈夫だ……と思ったんですが。 で、実際香港映画なんですよ。 そう思ってみるとアクションシーンも楽し……いや。う〜ん、アクションシーン、多すぎるよ実際。でもアクションシーンにつながる流れの中での決めぜりふはかなり気に入った。 「先に謝っておきます」 みたいな。 「私の売りは、私がたくさんいることでね」 みたいな。 めちゃめちゃ燃えますよ(笑) 中盤にかけて一時、「自らの増殖を望むプログラム」とかの一節も出てきて期待を持たせるんですが、アメリカ映画的な商業主義的な都合(なにしろ3部作にしなきゃね)でひっくり返されてしまうので、SF的には全く見るところなし。商売の都合を抜きにしても、一神教の限界だな、ありゃ。 |
030521 「Crazy Taxi 2」 SEGA DC用ゲーム |
メッセサンオーで新品980円で投げ売りされていたので購入。 前作も相当イカレたノリのゲームなんだが、イカレ具合が増加。今度のタクシーは自力でジャンプできる。 たまにサスペンションに手を入れたアメ車が路上でダンスを踊っているのを見るが(え?見ない? 町田では見るんですよ)ちょうどそんな感じでジャンプする。 前作比としてみると、 アクションゲームとしてのゲーム性が増し、ドライブゲームとしての爽快感が減りました。比較でいえば前作の方が好きですが、値段を考えると十分満足いける作品といえます。ホームページのハイスコアリプレイ集は鬼気迫るモノがあります。はっきりいって異常(笑) 必見です。 |
030520 Space Saver II Keyboard キーボード IBM |
マウスを変えたばかりであるにもかかわらず、 キーボードからマウスに手を伸ばすのが面倒になって、ポインタ付きのキーボードが欲しくなってきた。その手のキーボードは結構あったように思っていたのだが、調べてみると、OKI の mini keyboard 3 か、IBM の Space Saver II くらいしか見あたらなかった。研究室の勉強机の上で使うので、あまり巨大なキーボードも困るが、かといってキーピッチや機能キーを極端に詰められても困るので、どちらか一方を買うならSpace Saver II の方が理にかなっている。すぐに買う気はなかったのだが、なんだか生産中止だという事で、「とりあえず買っておこう」という気になって、平日の午前中に秋葉に行って買ってきてしまった。 で、モノはというと、 キーボードのコードが途中で分岐していて、PS/2 端子2個でキーボードとマウスとして接続する仕組みになっている。ドライバも付属しているが、普通に繋いだらロジテックのマウスドライバが USB 接続のマウスとデュアルで認識してくれたので、せっかくだからそのまま使用。ロジテックはたくさんマウスをつなぐ事を前提としてドライバを作っているのが不思議だ。 キータッチは悪いです。 ネット上での評判はそんなに良くなかったけど、凄いマニアの人たちの評判が悪くても、普通の人から見れば悪くないんじゃないかという期待があったんですが、8000円するキーボードとは思えないフニャフニャな打ち心地。今まで使っていた(おそらく)台湾製の格安キーボード(店頭で1000円〜1400円くらいだと思う 相当品)に比べても打鍵感は相当劣る……と思ったんだけど、実はその格安キーボードの評判が良かったということが判明。エプソンダイレクト、ひそかにヤルなぁ。 キー配列とかですが、 これも従来比で、テンキーが無くなって、カーソルキーが通常のキーと同列になり、機能キーが独立、結果として幅は従来品と同じ、奥行きは従来品より少し短くなっています。テンキーなしで幅が同じってどういうコトよ。キー同士の隙間が微妙に広くてだらしないぞ。キーボードと一体をなしているパームレストは、私にとっては不快な段差にすぎないので、これが無くなった事でキーが近くなった点は以前よりも良い点です。NumLockでノートパソコン並みに文字キーの一部をテンキーに転用できますが、さすがにあんまり使い勝手は良くない…。テンキーを別に買うかも。 総じて、 トラックポイント以外に売りのないキーボードです。しかしトラックポイントは便利です。 |
030519 「パソコンゲーマーは眠らない」 小田嶋隆:著 朝日文庫 |
あまり認めたくないのだが、 どうも今の自分の物の考え方に深く影響を与えた本であるような気がする。 この本は、 88年から91年にかけて、アサヒパソコンという雑誌に連載されたコラムを92年に単行本化した物を95年に文庫化した物だ。ちなみに自分が図書館で最初に読んだのは92年の単行本。 内容の紹介は省くとして、 パソコン関係の記述はさすがに老朽化しているが、それ以外の多くの部分は、今読んでもほとんどの記事で「うんうん」とうなずいてしまう自分がいる。MS-DOS の次に来たのは OS/2 ではなかったけどね。2年前研究室に入った私は、ゲル板 DNA Sequencer の制御用コンピュータに OS/2 が入っているのを見て仰天した。もっとも、今ではもうゲル板を使う人もいないが。 |
030518 「新現実 vol.2」 角川書店 |
ご注意。 以下の文章には事実関係の誤りが含まれている可能性があります。いつもより多く。 ハメられた。 友人の日記に登場する「新現実」についての記述を読んで、これはたぶん評論の雑誌だから自分には関係ないと思っていたのだが、偶然「白倉由美が連載をしている」というコトを知って、買って読んでみた。いくらか小説や漫画が載っているが、割合からいって、明らかにやはり評論の雑誌のようであった。しかもよりによって「特集 天皇制への立場」だって。 なんというか、 まさしく抱き合わせ販売のエサに釣られた感じである。このままでは大塚英志の良いカモだ。……とか思う時点で、すでに敵の術中に入っている? まぁいいや。 先にお断りしておくと、 小説は第一回が入手できていないのでまだ読んでおらず、評論は(天皇制云々はともかく)元々読む気がないのでほとんど読んでおりません。というわけで、全然読んでいないのですが、ちょっと眠れなかったので対談を一つ読んでしまい、色々考えてしまったので、もったいないからそれについて何か書くか(ひどい話だ) まず、 読んでしまったのは82〜100頁の対談です。全然分かりませんでした。だって彼らが話題にしている評論家たちの事を何も知らないんだもん。しかも、この手の政治&思想的な(?)議論というのは、自分が小学校だか中学校だかの頃に「考えるだけ無駄だからやめよう」と思って切り捨ててしまった分野なので、読んでも読んでも何のとっかかりもなく流れ落ちてしまう。にもかかわらずマズイことに、自分と意見が合うところだけ良く理解できる。 まさしく、全ての言論は自己正当化のためだけに述べられる(って、どこで読んだんだっけ?)という状態です。マズイですね〜。 《中略》 色々考えたんだけどほとんど忘れたので結論だけ書いておくと(ひどい) イチから説明してくれと言う気はないけど、抱き合わせ販売で販路を広げようという気があるのであれば、もうちょっと親切に説明したほうが良いんではないか。 え? 評論をエサに小説の方が抱き合わせ販売されてるの!? |
030513 評論家嫌い |
自分も他人の仕事(作品・製品)に無責任な事を色々言ったり書いたりするのが好きなタチだから、「評論」というほどではないにしろ、似たような物を転がすのが好きだし、その一方で「評論家嫌い」というのも良く分かる。 で、色々考えてみたんだが、その結果、評論家のする評論が嫌いなのではなく、評論家をやっている人間に、嫌いなヤツが多いのではないかと思った。私はかなり「評論家」という仕事や態度や生き方や顔が嫌いではあるが、その一方で「良い物は良い、悪い物は悪い」といった議論はされてしかるべきだと思う。そこにジレンマがあるなあ、と思っていたのだが、何の事はない、議論と人間をごっちゃにするのが悪かったのだ。物語が、作者の都合や社会情勢や読者の背景知識から独立に評価されるべきであるのと同様に、評論も評論家の人格から独立に読まれるべきなのだ。「評論」については正しいかどうか、妥当かどうかという話ができるが、「人間」については、人が彼を嫌うのに理由はいらないし、誰かが彼を嫌う事を止める事はできない。これは仕方がない。 つまり、私は徳大寺有恒は(顔とか言動とか)嫌いだが、「間違いだらけの車選び」は読む、ということ。 作家が評論活動を行う事については、 コトの善し悪しは別にして、マーケティングとしての悪影響があることだけは間違いないと思う。つまり、評論家嫌いの多くが持っている「自分で出来もしないくせに」「自分で作りもしないくせに」という批判は、評論家の行った「評論」それ自体に対しては無意味であるが、そういう評論を出した「人間」を評価するという意味では有意であるという事だ。 つまり、私は高千穂遙の評論は実に正鵠を射ていると思うが、高千穂遙の作品をその評論に照らし合わせてみると全くダメなので、次第に彼を嫌いになり、ひいては彼の作品を買わなくなった、という事例があるにはある。 それを気にしないくらい凄い評論が書ける人、あるいは凄い作品が描ける人、あるいは凄い図太い人、であれば、作家と評論家の掛け持ちは可能であると思うけど、「二足のわらじ」には違いないと思うぞ。 日本語が分かりにくいところは、今日はもう眠いので後で直します。 |
030512 Beat, AZ-1, Cappuccino, …… Next One ! |
ぼんやり考えていたらエライ事に気づいた。 ビート、AZ-1、カプチーノ、(ちなみに好きな順)という車が過去にあって、最近ダイハツが Copen という車を作った。 これについて僕は今まで、あぁ、ダイハツも軽の2シーター・スポーツが作りたかったんだなぁ……うらやましかったんだなぁ……と思っていた。 しかし今日ふと気づいたのだが、まだ他に軽自動車を作っているメーカーがあった。 スバル@富士重工が、まだこの手の車を作っていない。 インプレッサ、レガシィ を擁し、地上に飛行機を飛ばしている富士重工が、軽でもスポーツモデルを作りたくないはずがない(断言)! スバルが作るのだから、そのスペックは自ずと決まってくる。 660cc 水平対向4気筒、ミッドシップ・リア、いやむしろフルタイム4WD!? とか妄想をふくらませていたら、興奮して寝られなくなった(←馬鹿)。 翌日その話を、車好きの助手さんに話したら、2シーターではないが、ViVio のレパートリーに 4気筒スーパーチャージャ付き、というイカレたモデルがあったとのこと。調べてみると、外見は アルトワークス? みたいな車だけど評判は上々。ターボよりスーパーチャージャがイイんだって。で、スバルはこの直列4気筒スーパーチャージャ&インタークーラ っていうエンジンをプレオ用に作っているじゃないですか。ちょっと期待しませんか? 本題とは関係ないけど、AZ-1のファンページの冒頭にある言葉が素晴らしい。 曰く 絶対的なスピードでもなく、背伸びしたアピアランスでもなく。AZ-1 のカタログの冒頭の一節だそうです。 |
030506 なんだかなぁ |
まぁ何というか、 日本は自由国家であって、法で認められた権利があるわけだから、白ずくめの格好をしたり、ゆっくり道を走ったり、イカレた信念を持ったりしてはいけない、とは言えないよな。 しかしまぁ、 道路交通法を守らなかったり、シールの張りすぎで車が整備不良だったり、川にゴミを捨てていたり、保護鳥獣を勝手に捕獲しようとしたりするのは、それはそれとして規制されるし、そういう時に不利な扱いを受ける事は仕方ないだろうね。 |
030505 高校の部活のOB会 |
久しぶりに古い友人たちと会う。 二次会の会場まで二駅歩いた結果、何故か、「男女別学」が文化の多様性を維持し、環境変化に対する柔軟性を高めるために必要である、というような結論に落ち着く。全国の別学校学生、および別学校出身者諸君! 出身母校の別学を守り、社会の画一化を推進する共学化圧力を粉砕しよう! 別学万歳! という話になったが、ひがんでいると思われるのがオチであろう。 しかしそういう反応自体が多様な価値観を認めない偏狭さである事は、(どちらの陣営に属する人間も)互いに否定することはできないだろう。ひがむ権利まで奪われてしまっては、弱者には生きる道がない。 二次会は若すぎる人たちが少なくて結構(苦笑) 僕らもそれなりの歳なので、集まれば仕事や将来の話をせざるを得ない。同期は4人中、ドクター進学が3人、もともと医学部のヤツが1人。なんと全員 Dr. の肩書きを持つ事になりそうである。今日は来れなかった2人もどうなる事やら。だれか就職しろ(お前もな)。 もう少し後輩とも話せばよかった。 下宿に帰ったら、 駅前で猫が集会を開いていた。 |
030504 通知表に愛国心? |
私はこれでも、自分なりにこの国を愛しているつもりだが、 その程度やあり方について他人に評価されるというのは非常に不愉快である。 ちなみに、 歴史的必然性の観点から見て、先の大戦に至る経緯と、その敗戦についてはある程度やむを得ないとは思うが、負けた戦争や国家を敗戦に導いた指導者を美化する人たちの気が知れない。もし彼らが本当に美化するに値する人物であったなら、アジアを開放しなおかつ日本も独立の道を歩めたはずである(まぁ、負けて占領を受けた方が結果としてよかったかもしれないが)。また、国の指導的立場になかった人々であっても、自国が敗戦に至る道を止められなかったことについての責任を免れるものではないと考えている。無知は罪であり、黙認は加担に等しい。 敗北や敗残兵を後生大事に崇めていて次の戦争に勝てるか。 有り体に言えば、 私は愛国者として、この国の政治体制は立憲君主制よりも共和制が望ましいと考えている。また愛国者として、黒い街宣車に乗って恐喝を行う事を生業とする行為が「愛国的」であるとは考えていない。 「愛国心」という言葉がイメージ的に右翼思想と関連づけられている事についても極めて不快に感じている。 |
030501 なんとなく |
先生ぇー。 HAMMERFALL の歌が THE ALFEE に聞こえまーす。 あなたの音楽センスは腐っています。どぶに捨てなさい。 |